くまのパディントン☆お気に入りの読みものをご紹介

イギリスで有名なクマといえば、くまのプーさんとくまのパディントン。

ディズニーアニメになっているので、日本での知名度はプーさんが一歩リードかな?と思いますが、最近になって映画が公開されたおかげでパディントンも有名になってきています。

どちらの作品も、アニメから入っても映画から入っても、はたまたキャラクターグッズから入っても良いので、もっともっと多くの人に原作の面白さを知ってほしいと思っている物語でもあります。

 

どちらも甲乙つけがたく大好きなクマの物語ですが、

『クマのプーさん』の方は最後まで読むと少し寂しくなってしまうのに対して、

パディントンのお話はいつ読んでも思いっきり笑えて、読み終わると気持ちが少し軽くなる…

私にとっては、ちょっと落ち込んだとき、もやもやした気持ちが晴れないときの特効薬のようなシリーズです。

(今回もこのブログを書くのにあたり、ちょっと確認したいことがあって拾い読みをしたら思わず吹き出してしまったくらい。展開がわかっていて読んでも、笑顔になれるポジティブなパワーを持った物語だなと改めて思いました)

 

 

パディントン駅から我が家に来たパディントン
パディントン駅から我が家に来たパディントン

この物語の面白さはなんといってもパディントンのキャラクターにあります。

 

「暗黒の地ペルー」から密航してきたクマはパディントン駅でブラウンさん一家に見つけられ、パディントンと名付けられます。

 

 

ブラウンさん一家が出会ったときは不安げだったパディントンですが、ブラウンさんのお家に行く前に早くもそのトラブルメイカーっぷりを発揮。

まったく悪気のないちょっとした失敗が、思ってもいなかった大惨事を引き起こす事って、意外とよくあるものです。

子どもの頃、「そんなつもりじゃなかったのに…」ということが大ごとになって、大人から叱られた経験がある方、いないでしょうか?…私はそんなことばかりでした()

ですから、子どもの頃の私は、はじめてお茶を飲む場面での、ドタバタの大惨劇の面白さとパディントンの振る舞いに、一気にパディントンに親近感とちょっとした優越感(いくらなんでも私はここまでではない…というほっとした気持ち)を抱き、パディントンが一気に大好きになってしまいました。

 

…この、悪意のない些細な出来事が大騒動になる…というお茶の場面は、今後パディントンが巻き起こすあらゆる大騒動を象徴する場面です。

パディントンには彼なりの理屈や理由があって行動を起こすのですが、どこかで歯車がかみ合わなくなるととんでもないことに発展してしまうのです。

それが良いほうに作用することも残念な結果になることもありますが、パディントン自身がいつも一生懸命なので、ブラウンさん一家をはじめ周りの人々も読者も、どうしてもパディントンを憎めないのです。

 

 

それにパディントンはとっても家族思いです。

パディントンの行動の多くは家族のためや人のために何かしようという目的があります…それが首尾よくいくかいかないかは別問題ですが()このお話を読むと、パディントンだけではなく彼を取り巻く人々のことがとても好きになってしまいます。

パディントンの映画。私は②がおすすめです。
パディントンの映画。私は②がおすすめです。

ドタバタなお話なのに、ただただ面白いだけではなく、読んだ後にとても暖かな気持ちになれるのは、パディントンとブラウン一家、周囲の人々の関係がとても素敵なものだからだと思います。

私は特にパディントンとブラウン家の家政婦のバードさん、そしてパディントンと近所の骨董屋のグルーバーさんとの関係が大好き。

バードさんは一見、パディントンにいちばん厳しく接しますが、パディントンの性質を気に入っていることが、言葉や行動の端々から感じられます。素直じゃなくてかわいいのです…好物のマーマレードサンドウィッチを用意してくれますし、実はパディントンが他の人にけなされたりすると、誰よりも憤慨して怒ってくれます。

対して、パディントンにあまあまなのはグルーバーさん。時に敬意を持ってパディントンに接する態度がとっても素敵。それに、グルーバーさんといえばなんといっても「お十一時」の時間です。グルーバーさんとパディントンの「お十一時」の時間に欠かせないココアと菓子パンのティータイム。何度読んでもほっと心が和む場面です。

(…余談ですが、子どものころはこの「お十一時」に憧れて、祖母や母にココアをねだったものです。今でも、午前中に何か甘いものをいただく「お十一時」の時間が大好きです。)

 

この人をはじめ、パディントンの周りの人々の受け入れ力が素晴らしい。

大人になってからの自分は完全にパディントン見守り隊の一員として、パディントンの行動を暖かい目で見守っている側ですが、子どもの頃はどちらかといえば半分くらいはパディントンに自分を投影して読んでいました。それにもかかわらず、パディントンが次にどんなことを巻き起こすのか、ただただワクワク読み進められたのは、「怒られて家から追い出されたらどうしよう」とか「嫌われてしまったらどうしよう」という心配が全くなかったからです。

 パディントンの周りには絶対的な味方がいるという安心が担保されているからだなと、大人になって読み返して思いました。この物語のそんなところが、いつ読んでも安心して笑える、特効薬のような存在である所以なのかな。

パディントン展で購入した小さな置物。パディントン駅にある像のミニチュアです。

訳者である松岡享子さんがパディントンの物語には「上質なユーモア」がある…とお話されていたのですが、本当にその言葉がぴったり。

どのページにもユーモアが溢れているというのが、こんなにも長い間、愛され続けている理由なのではないかしら。

(ちなみに松岡先生のお言葉で、こちらも深く納得したのは「くまのプーさんが純文学だとしたら、パディントンは上質なエンターテインメント」というお言葉です。冒頭に書いた、私の中でのプーさんとパディントンに対する気持ちにもリンクするので、書き留めておきます)

これからも、多くの人がパディントンに出会ってくれますように。

そして上質なユーモアを味わってほしいなと思います。